変えることのできない物事を
受けいれる落ち着きと
変えることのできる物事を
変える勇気と
その違いを常に見分ける知恵とを
さずけたまえ"
— カート・ヴォネガット「スローターハウス5」 (via hazy-moon)
— カート・ヴォネガット「スローターハウス5」 (via hazy-moon)
— 「入力」と「出力」の関係:投資十八番 (via atm09td)
(出典: thinkupstudio、do-nothingから)
The Earth’s moon 1.5 days after its New Moon phase, with the International Space Station seen streaking across the sky and Jupiter shining amid the clouds.
(出典: vaacuum、suzukichiyoから)
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情”飽”化社会(逆デジタルディバイド) - Text::Easyhacking (via shukujitsu) (via fukumatsu) (via hawelka)
2010-08-04
(via quote-over100notes-jp)
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小学校2年生の作文に泣かせられたよ。 - Something Orange (via kogumarecord) (via minimumnarration) (via suzukichiyo) (via x-117) (via kondot) (via rarihoma) (via toraumaboxer) (via sakaue) (via nemoi) (via honeydip5123)
2010-02-07
(via quote-over100notes-jp)
だが、「本質」と言われることが、ほんとうに「本質」なのだろうか?
人は「本質」という言葉で、あまり表に出ていることを指したりはしない。「あの人の本質は髪が長いことだ」とは絶対に言わない(ものすごく髪の毛を大切にしている平安時代の貴族のような人ならそういう場合はあるかもしれないが)。たいてい「本質」という言葉であらわされるのは「あの人の本質は善人だ」というふうに、表面に現れない部分を指す。
「うがつ」という言葉にもあきらかなように、表面にノミを立て、削り取り、「取り出したもの」を「本質」と言っているわけだ。こう考えていくと、何が「本質」かは、削り取られる本体の側ではなく、削り取る人の判断による、ということにはならないか。
ノミをふるう人は、「本質」うがった自分の腕を、あるいは目の確かさをを誇る。そのあとに続くのは、賞賛か否定のどちらかでしかない。
"
(ayemclothingから)
"表面的な明るさや暗さじゃ無いよ
根が明るいっていうのはね、なぜだか、根本的に、自分自身で満ち足りているって事なんだ。なんにも意味のあることをしていなくても、ほかのだれにも認めてもらわなくても。
それが上品ってことでもあるんだ。
根が暗いっていうのはその逆でね、なにか意味のあることをしたり、ほかのだれかに認めてもらわなくては、満たされない人のことなんだ。
それが下品ってことさ。
— ネクラとネアカ - 私の解析力学的かつ詩的で、ご冗談な日常 (via vich)
(do-nothingから)